ADHD無職女、三十路になりました。

うつ、胸痛、手の震え…心の病ぜんぶ二次障害だったなんて!

「普通」って何でしょう?

昨日、ザ!世界仰天ニュースの「誰にも理解されない孤独な苦しみ」という特集を見てディスレクシアを知りました。

番組内容については、当事者である南雲さんのツイートからご参照ください↓

予告CMを見て、何らかの発達障害についてだろうなと思って録画しました。
ディスレクシア(失読症)…読み書きが困難という障害もあるんですね。

再現VTRで、高校生になった南雲さんが不登校になり部屋で暴れる様相を見て、自分の高校時代がフラッシュバックしました。
今もちょっと思い出すのツラいんですけども…気持ちが鮮明なうちに記録しておきたいと思います。

正直言って、私は南雲さんと正反対のタイプです。
周りについていけなくても全く努力しようとせず、「わかんない!わかるまで教えて!じゃなきゃ勉強しない!」とワガママを言っては忙しい母の手をわずらわせ、困らせてばかりいました。

私は好きな事には積極的ですが、興味がない事は全く覚えず、得意教科と苦手教科の差が大きい児童でした。
暗記が苦手で理科社会は赤点ギリギリ、算数は九九を全て言えない(半分覚えればいいやと思っていた)、国語はテスト用紙をよく読めば答えが書いてるから好き…という具合でした。
とにかく覚えることが面倒で、苦手だったんです。
小学校の頃は、どこにでも居る「勉強嫌いの子供」でした。
ゆとり教育が始まった事もあって、特に良くも悪くもない成績を維持していました。

中学に入ってから、1ヶ月もしない内に英語を諦めました。
単語を覚えるのが苦痛だった上に、嫌だと思えば思うほど先生の声が遠くなっていくので、早々に「ムリだ」と放り投げました…。
理科社会の成績は徐々に下降、国語は現代文だけ良好、数学は覚える量が減って好きになりました。
そんな調子で、教科による成績差は大きくなる一方でした。

中学3年生の夏、進路指導で「今の成績では商業高校一択」という現実を突き付けられ、友達と同じ高校に行きたかった私は初めて自主的に勉強するようになりました。
九九を覚え直す所からスタートして、半年ほど必死に勉強しました。
あんなに冷えピタを消費した事は後にも先にも無いだろうと思います…。
何とか担任が納得するラインまで巻き返し、希望校を受験する事ができました。
合格発表の日、自分の番号を見つけて泣くほど嬉しかったです。

私が本当に勉強で悩んだのは、高校に入ってからでした…
私が入学した高校は入試の成績でクラス分けされており、私は文系トップのクラスに入れられました。
一緒に受験した友人たちの中で、私だけトップクラスに入ってしまいました…
それから地獄の日々です。
中学まで、私は「勉強キライ!わかんない!」と言い続けてきたのに、成績順にクラス分けされた事で「本当は頭いいんだ」と認識されてしまったのです。
幸い、成績ごときで態度を変えるような薄情な友人は居ませんでしたが、戸惑っているのは私でも分かるくらい明らかでした。
自他共に認めるバカキャラだったのが、いきなり真逆のポジションに立たされ、どう接したら良いのか分からないという様子でした。
私もまた、それまでのように友人を頼る事が難しくなり、分からない所を気軽に「教えてー!」と言えなくなりました。

それだけなら、仲の良い友人同士の事、時が経てば解決したかもしれません。
しかし、問題は教室が違う事だけではありませんでした。
成績順クラス分けの所為で私だけ“参考書が違う”“課題が違う”という難題が毎日襲ってきたんです。
ちゃんと前日の夜にカバンの中身をチェックしても何かしら忘れてしまう私なので…参考書や課題ノートを借りられないダメージはかなり大きかったです。
それに加えて、従来のバカキャラが崩れた事で「自力でやらなければ」というプレッシャーがストレスとなって徐々に蓄積し、2年生の夏にプツッと糸が切れてしまいました。

昨夜の仰天ニュースを見ていて、その当時の自分…“引きこもり、食事を無視し、時に暴れ、死のうとする16歳の私”を見ているような気分になり、久々にキツめの発作を味わいました(苦笑)
初めに書きましたが、私、南雲さんとは正反対の他力本願な子どもだったんですよ?
なのに、再現VTRのその部分だけ似ているなんて、不思議ですね…。
もしかしたら私は、“普通と違う自分”に悩み、それをどうにかしようとバカを装っていたのかもしれません。
「私は怠けてるわけじゃない、バカだから出来ないんだ」と過剰に肯定して、親や友達に見放されないよう「バカなりに頑張ってる自分」を演じていたんだと思います。

「普通」って何でしょう?

この問いの答えに、私は中学のとき出会っていました。

「私は私、あなたはあなた、鳥は鳥、イルカはイルカ」

幼なじみが教えてくれた言葉です。
「そのままで構わない」と言ってくれる友人たちに支えてもらって、思春期を生き延びました。
彼女たちには本当に感謝しています。

…テレビ番組だったら、大体この辺りで「この経験を糧に、今後こう生きていきたい」と語る場面でしょうか。
そういう美しい話も好きですよ…好きだけど、私はまだ語れません…。

今もまだ「普通」とは何なのか知りたいです。
健常者と障害者を比較して、ここが違うんだよと教えてほしい。
私はADHDだけど、できるだけ普通の振りをして、できるだけ普通に接してもらえる人間になりたい。
ADHDじゃ仕方ないね」というのではなく、「ADHDなら、こうしたら?」という意見がほしい。
その為に「普通とは何なのか」を、もっと細かく分かりやすく示してほしいんです。

自分の行動は、どこまでが障害で、どこからが怠けなのか…
今、目の前にある壁の高さが分からないんです。
もしかしたら立ち上がれば登れるものを、寝転がって見ているのかもしれない。
そう思うと、私は生きてちゃいけないんじゃないかと考えてしまいます。

まだ死にたくないんですけどね…